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緑茶ってどこから生まれたの?緑茶発祥の地・宇治田原町と茶祖・永谷宗円とは

2024.03.01

 
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茶器と京都府地図の画像

緑茶がどこから誕生したのかご存じでしょうか。それは京都の宇治田原町です。現在「お茶」と聞いて思い浮かべる緑色のお茶は、江戸時代に永谷宗円が発見した製法によってうまれました。緑茶のふるさとと日本茶の歴史についてご紹介します。

目次

1.茶畑広がる!緑茶発祥の地・宇治田原町とは?

宇治田原町はハートの形の画像

京都府の南に位置する宇治田原町。町の形がハート型をしているので「ハートの町」とも呼ばれています。

京都府南東部に位置する宇治田原町。世界遺産・平等院鳳凰堂がある宇治市と、信楽焼で有名な滋賀県・信楽市の間に位置します。古くから宇治などの山城地域と奈良や近江を結ぶ交通の要として栄えてきました。

日本三大銘茶に数えられ、最も歴史のある宇治茶の主要生産地であり、一面に広がる茶畑の美しい自然豊かな町です。そんな宇治田原町が緑茶発祥の地であることをご存じでしたか。

宇治田原町の茶畑の画像

一面に広がる茶畑は圧巻。茶摘みの頃になると爽やかな風が吹き抜けます。

宇治田原町でお茶の栽培がはじまったのは鎌倉時代にまでさかのぼります。

茶祖・栄西(えいさい)がお茶の種を中国から持ち帰り、お茶が日本に渡ってほどなくした頃。栄西からお茶を授かった名僧・明恵上人の弟子によって栽培方法がもたらされました。お茶が霊峰・鷲峰山のふもとの「大福谷」に植えられたのがはじまりです。宇治田原町でできたお茶は幕府や宮中にも献上され、大変好まれたと伝わります。

こうしてお茶の町として栄えた宇治田原町。江戸時代、さらに画期的なお茶の製造方法がこの町で生まれます。

2.茶祖・永谷宗円とその偉業

茶祖の永谷宗円の画像

永谷宗円はその功績から宇治田原町の神社に祀られ、茶祖として親しまれています。

宇治田原町出身の永谷宗円(ながたにそうえん)はお茶の世界では知らない人はいないほど、大きな偉業を成し遂げた人物です。そんな永谷宗円とその功績についてご紹介します。

永谷宗円は、延宝9年(1681)に現在の京都府宇治田原町にあたる、山城国の宇治田原郷湯屋谷村に生まれました。永谷家の先祖は武士だったそうですが、宇治田原の土地を開拓し、茶園を開いて製茶業を営んでいました。農地改良の指揮をとるなど、村の頼れるリーダー格だったそうです。

永谷宗円の生家の画像

宇治田原町に残る永谷宗円の生家。土日祝日は見学ができます。

江戸時代中期まで、一般庶民はお茶の葉を煎じた赤黒くあまり味もよくないものを飲んでいたと伝わります。庶民でももっとおいしいお茶を楽しめるようにしたいと取り組んだのが、永谷宗円です。

その功績を称えて宇治田原町に今も残る永谷宗円の生家近くの神社に「茶宗明神」として祀られています。

3.現代も受け継がれる「青製煎茶製法」とは?

蒸した茶葉を揉む画像

蒸した茶葉を手で揉んで乾燥させます。永谷生家には復元された焙炉があります。

私たちが現在飲んでいる緑色のお茶は、永谷宗円があみだした製法によって誕生しました。この製法を「青製煎茶製法(あおせいせんちゃせいほう)」と呼びます。

それまでのお茶づくりは、茶の葉を蒸してから乾燥させて仕上げていましたが、これでは酸化が進み、茶葉が赤黒くなってしまいます。

永谷宗円は、茶摘みを行なった新芽を蒸したあと、ゆっくりと丁寧に「揉む」という新たな工程を加えて乾燥させました。そうすることで茶葉の発酵(酸化)が止まって、香りのよい緑色のお茶が生まれることを見つけ出したのです。

今のお茶づくりでは当たり前のことになっているほどのちの世の中に影響を与えます。

元文(げんぶん)3年(1738)までに約15年の歳月をかけてあみだしたその後、一般庶民でもおいしく飲める緑茶はやがて全国に広がります。

茶器と茶葉の画像

こうして宇治田原町で生まれた緑色のお茶が日本全国に知られ、現在の私たちの身近なものになりました。

4.まとめ

本緑茶発祥の地・宇治田原町は、京都府の南東部にあります。茶畑の広がる自然豊かな町です。その歴史は古く、鎌倉時代にお茶の種が日本にはいってきてすぐに、明恵上人の弟子によってもたらされます。

ですが、江戸時代半ばまで一般庶民は赤黒い飲み物を「お茶」と呼んでいました。今、私たちが口にしている緑色のお茶は、1738年に宇治田原町出身の永谷宗円によって生み出されました。摘んだ新芽を蒸して揉んで製茶するこの方法を「青製煎茶製法」と呼びます。

こうして緑茶は宇治田原町で生まれたのです。


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