トップ > 018 不安な気持ちを一服のお茶で癒やす! 心をととのえる禅の教え

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禅とお茶の歴史と関係。心をととのえる教えを住職に聞く

2022.11.01

禅とお茶の歴史や関係性を建仁寺塔頭(たっちゅう)興雲庵(こううんあん)の坂井田泰仙住職にうかがいました。日常生活にも取り入れられる一服の心構えや意義、禅の教えについてもご紹介します。

坂井田泰仙住職

目次

 

坂井田泰仙住職

興雲庵 坂井田 泰仙(さかいだ たいせん)さん●1974年京都生まれ。臨済宗建仁寺派教務部長、建仁寺塔頭興雲庵住職。臨済宗連合各派布教教師として、全国の臨済宗各寺を回り布教活動に務めている。

禅とお茶の関係性の始まり

「建仁寺の開山である栄西(ようさい)禅師が宋に渡られたころ、わが国は戦乱の世にありました。それで禅師は、なんとか国をおだやかに、平和にしたいという思いがあって禅の根本にある教えとともに、茶の種や道具を持ち帰ってこられました。

栄西禅師は禅の布教とともに茶の栽培も積極的に行なっていました。それは、宋での生活の中で、お茶の養生延齢の効力を認めていたからです。そのことは栄西禅師自身がまとめた「喫茶養生記」にも記されています。その中で「お茶は健康と長寿のもとであり、その木が生えるのは神聖な場所である」としてお茶の薬効を説いています。」

禅宗は座禅を中心とした厳しい修行を特徴とします。悟りを開く上で、あらゆる欲望や煩悩を無くすことが大切ですが、睡眠欲を忘れることは最も難しいことです。禅宗寺院では、お茶の持つ不眠覚醒効果が禅の修行に必要であり、また禅宗の行事に茶礼が欠かせないことからも、お茶を服することが重視されたのです。

喫茶養生記

栄西禅師は、2度にわたる渡宋で、禅宗を学ぶとともに茶の種を日本に持ち帰り、日本最古の茶書『喫茶養生記』を著す。冒頭に「茶や、末代養生の仙薬、人倫延齢の妙術なり」と記されている。

坐禅の合間に行なわれる「茶礼」とは?

「今も、我々の禅寺の中では、お茶は、いろいろな場面でよく使われています。修行道場では、坐禅と坐禅の合間に『茶礼(されい)』という時間があるのですが、同じ急須で淹れたお茶を全員でいっせいに飲みます。これは眠気を覚ますとともに、茶を飲むという同じ行ないと時間を修行僧同士が共有することで、一旦、皆が心をととのえ、心を一つにすることができるのです。

「茶と禅」、この2つが結び付くとは即座には考えられないかもしれません。しかし、栄西禅師の時代から800年余りの時を経た今も、茶と禅の密接なかかわりは、心の平穏を保ち、心をととのえる一つの作法として脈々と我々に受け継がれています。」

建仁寺

臨済宗建仁寺派の大本山、建仁寺は建仁2(1202)年栄西禅師によって開山された京都最初の禅寺。

禅とお茶の関係性の変化

12世紀後半に宋から伝わった抹茶は、その製法が禅とともに広まり、やがて「茶の湯」として千利休により大成されました。茶の湯とは、洗礼された作法や道具、空間の中で、お茶をいただきながら、相手との精神的な関係を深める場を指します。

そんな茶の湯は、15世紀から16世紀にかけて、武士の間で大流行します。その理由の一つは茶の湯の作法に通じ、茶道具の目利きができることは、精神的な深みを持った美意識の持ち主と示すことができたから。もう一つは、茶室での語らいは、社交や密談の場としても機能したからです。

文字通り命をかけて毎日を生きる武士にとって、茶室は安らぎの場でした。静かな空間で、心を落ち着けながら一服を点てる時間は、貴重なひとときだったのです。

江戸時代半ば以降は、精神性を重んじる姿が再び見直され、より禅の思想を反映した茶道が確立されたのです。

禅の修行僧が一杯のお茶をいただく意味

「修行僧たちには、各人各様の人格や個性があります。その違う個性がぶつかって、いがみあっていては肝心の修行の妨げになります。そのために、修行の合間に、ひと息入れて、しばし心を和ませるのです。

これは千利休が残した『和敬清寂(わけいせいじゃく)』という言葉にも通じます。同じお茶を飲むことで互いに認め合い敬って、そして『寂』という煩悩が消えた覚(さと)りの境地に向かってともに精進していくのです。

一杯のお茶をいただくことで、まず身体をととのえ、呼吸をととのえ、自分自身の心をととのえていくことは、まさに栄西禅師が伝えたかった「茶と禅」を結ぶ尊い智慧であったと思われます。」

鹿威し

「茶と禅」の教えを日常生活に取り入れる

「『正』という字は、『一』度、『止』まると書きます。一度、自分自身の心を見つめ直して、雑念や迷いなどの生きていく上での負の思いを洗い流して、心を綺麗にリセットしていくことが、今こそ大切なときではないでしょうか。

一旦手を止めて、一杯のお茶をいただきながら、ひと息入れて、自分自身の足元を見つめ直し、何が正しいかを判断してみるといいのです。そうしてまわりの情報に惑わされることなく、自分はどう思うのかを考えて、より広く大きな視野でじっくり考える時間をもちたいですね。

禅語に『青山元不動白雲自去来(せいざんもとうごかずはくうんおのずからきょらいす)』という言葉があります。青山とは、すべての人間に元々そなわっている美しい仏の心です。白雲は、煩悩です。

人の心は変わらないけれど、変化の真っただ中にある今、その波に流されて心が揺らいできます。だからこそこの煩悩という雲をとりはらうために、立ち止まり本来の心を見つめ直して、ととのえねばなりません。一杯のお茶をいただくそのときが、自らを省みる一つの機会にもなるのです。

世の中の雨風が強いときには、ふだんの何気ないことが有難く思えてきます。一杯のお茶をいただくことは、ごく当たり前のことかもしれません。しかしこの当たり前の有難みと、お茶を飲むひとときの意義を、『茶と禅』の教えを通じて見直していただきたいと願っています。」

双龍図

まとめ

禅とお茶の歴史や関係性について、建仁寺塔頭、興雲庵の坂井田泰仙住職にお伺いしました。いろいろな情報が錯綜する今の世の中だからこそ、一杯のお茶をいただきながらひと息入れて心をととのえて、何が正しいのか、じっくり考える時間を持ってはいかがでしょうか。

お茶

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