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お茶大学って知ってる?創設者・大森正司博士のお茶研究50年の歩み

2023.12.01

大森正司先生

研究所「茶空間」にて。緑茶は朝昼晩と毎日欠かさず飲んでいるのだそう。

月刊『茶の間』の秋冬番茶でもおなじみの大妻女子大学名誉教授の大森正司先生は、お茶に関する研究歴が50年以上というお茶研究の第一人者です。お茶をこよなく愛し、「お茶博士」の異名を持つ大森先生に、先生が創設した「お茶大学」のことや、お茶との出合い、これまでの研究の思い出などたっぷりお話しいただきました。

お茶博士(農学博士) 大森正司さん

1942年生まれ。東京農業大学大学院農学研究科農芸化学専攻博士課程修了。大妻女子大学教授を経て、現在同大学名誉教授。大妻女子大学「お茶大学」校長。農学博士。専門は食品科学、食品微生物学。NPO法人日本茶普及協会理事長、NPO法人日本食行動科学研究所所長、お茶料理研究会事務局長、茶需要拡大技術確立推進協議会会長などを歴任。「お茶博士」として、メディアにも多数出演し、お茶の健康効果などを伝えている。著書に『お茶で若く美しくなる』(読売新聞社)、『おいしい「お茶」の教科書』(PHP研究所)、『お茶の科学』(講談社ブルーバックス)ほか多数。2021年、瑞宝小綬章受章。

1.大森先生が創設したお茶大学とは?

大妻女子大学「お茶大学」の写真

社会人教育を目的に創設されたお茶大学。さまざまなお茶の楽しみ方などが学べる。

―― 大森先生は「お茶大学」を創設されていますが、お茶大学ではどのようなことを学ぶのでしょうか?

大森:元々、私の研究室に来た学生に対して、お茶の味の違いや淹れ方を実際に体験させて教えていました。その流れから、今度は社会人教育を目的に創設したのが「お茶大学」です。開講してもう10年以上になりますね。

お茶大学では、学生に教えたようなお茶の違いはもちろん、さまざまなお茶の楽しみ方をお伝えしています。例えば、水、ぬるま湯、熱湯で淹れてその違いを味わうといったことです。お茶は淹れる温度で味わいが変わりますが、実は効能も違います。緑茶には、紅茶や烏龍茶にはほとんど含まれない、エピガロカテキンガレート(EGCG)という、非常に抗酸化力の強いカテキンが含まれています。そういった成分が淹れる温度によって抽出量が変わるといったことも教えています。

お茶大学にはさまざまなコースがあり、そのうちの「茶育指導士」コースでは、食育や、日常生活のさまざまな場面でのお茶の役割、おもてなしの心、そのイロハを学びます。だいたい10回の講義で、終了すると、日本茶普及協会から茶育指導士の資格が認定されます。

2.上司の突然のひと言でお茶研究の道に

お茶が入った試験管の写真

―― お茶大学を創設された大森先生は、「お茶博士」の異名もお持ちです。大森先生のお茶との出合いはどのようなものだったのでしょうか。

大森:実は偶然なんです。私は元々、東京農業大学で農薬の研究をしていました。1970年に、27歳で大妻女子大学の講師になったのですが、農薬の研究を続けるつもりでいました。ところがその翌年に、北海道大学から小幡弥太郎先生が大妻女子大学にいらしたんです。

小幡先生は、ビタミンB1を発見した鈴木梅太郎先生の門下生で、匂いを専門に研究しておられ、大変厳しいことで有名でした。小幡先生がある日突然、お茶の葉をたくさん持って現れ、「これで紅茶をつくりなさい!」とおっしゃった。それで、右も左もわからない中、紅茶づくりをすることになりました。

3.最初の研究は紅茶から

笑顔で話す大森先生の写真

―― 最初は、紅茶の研究からスタートされたのですね。

大森:そうなんです。当時、日本でも紅茶はあることにはありました。でも、本場のインドやスリランカの紅茶とは味も香りも比べ物にならない。そこで小幡先生は「そういう紅茶に負けないものをつくれ」と。私はすぐに静岡県の国立茶業試験場(現在の金谷茶業研究拠点)に行き、試作を始めましたが、なかなか思うように行かず難航していました。

そんなとき、小幡先生の門下生、山西貞先生がスリランカの視察から戻られ、「スリランカの茶園は真っ赤だった」と言うんです。そこで小幡先生は「それならきっと、ベータカロテンが関係している」と気づいたんです。実際、ベータカロテンを使ったら驚くほどよい紅茶ができたのですが、残念ながら、そのメカニズムまでは突き止められませんでした。けれど、当時私の助手をしていた大学院生が、ベータカロテン分解酵素を発見し、学位を取得することができました。これはよかったなと思います。

―― 50年前、そんなふうにして日本で紅茶の開発がされていたというのは興味深いです。

大森:お茶って本当に面白いんですよ。紅茶の研究をきっかけに、私は「お茶はどこから来たのか」という探求を始めました。日本では、平安時代には一部で飲まれていたようですが、栽培の起源として有名なのは、鎌倉時代の僧侶・栄西(えいさい)が持ち込んだというもの。つまり渡来説です。栄西は海外からお茶の種を持ってきて、福岡県と佐賀県の境にある脊振山(せふりさん)に茶園を開いた。その後、京都の高山寺の明恵上人にも種を贈り、京都、そして全国にお茶の栽培を広めました。

では、栄西はどこから持ってきたのか。栄西が記した『喫茶養生記』は、お茶のバイブル本とも言われていますが、ここには「茶は南方の嘉木なり」と書かれているんです。

4.お茶の起源を求めて「黄金の三角地帯」へ

大森先生の著書の多数の写真

これまでの研究を踏まえ、お茶に関する著書も多数ある。

―― 喫茶養生記に書かれた「南方」が、どこなのかということですね。

大森:お茶は中国から持ち込まれたというのが通説ですが、タイ、ミャンマー、ラオスの国境、いわゆる「ゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)」辺りの可能性もあると思いましてね。現地の古いお茶の木の葉と、日本のお茶の木の葉の遺伝子比較をしたいと思い、行ってみたんですよ。ところがこれ、ものすごく大変な仕事なんです。

現地に行くまでに相当な時間がかかるばかりか、何より、とにかく広い。樹齢1000年以上なんて木がいっぱいあるんです。世界最古の木は、香竹管(シャンツーチン)という樹齢3200年の木です。ただ、やはり葉を持ってくるのも大変だし、少し持ってこられたとしても、遺伝子解析は大変です。日本のものにしても、そこまで古い木は残っていないし、長い間に遺伝子が混ざって入り組んでしまっている。そんなわけで、解明まではできませんでした。

5.国境を越えたお茶文化

柔和な表情の大森先生

「お茶って本当に奥深くて、何年研究してても面白さが尽きません」と柔和な表情で話す大森先生。

―― それはとても壮大な研究ですね。

大森:ゴールデントライアングルに行って、面白い発見もたくさんありました。中国、タイ、ミャンマー、ラオスの少数民族。国境というのは、もちろん国が違うからあるわけですが、このエリアの少数民族は、衣食住の文化がとても似ていたんです。中国の雲南省、シーサンパンナに住んでいる布朗(プーラン)族はお茶をつくっているのですが、蒸した茶葉を竹筒に漬け込んで発酵させた酸っぱいお茶で、現地の言葉で「ミヤン」と言い、漢字で書くと「竹筒酸茶」。

このエリアと国境を接しているミャンマーの北側、ナムサンに行ってみると、パラウン族という少数民族がいます。ここにも全く同じお茶があり、彼らはこのお茶を、ミャンマー語で「ラペソー」と呼びます。「ラペ」はお茶、「ソー」は濡れているという意味です。でも、現地の言葉では「ミヤン」とも言う。さらに、タイでもラオスでも、同じものを「ミヤン」と呼んでいたんです。これは面白いなと思いました。

6.緑茶、紅茶、黒茶……、お茶の世界は奥深い!

カビ付け中のお茶の写真

研究所には大森先生がカビ付け中のお茶も。中でも、石鎚黒茶につくカビは真っ白で、とても珍しいのだそう。

―― 国は違っても同じようなお茶があり、呼び方も一緒というのは面白いですね。

大森:そうなんですよ。日本でも徳島県の「阿波番茶」というのが、まったく同じつくり方なんです。漬け込むときに中国、タイ、ラオス、ミャンマーではやわらかい葉だけを使いますが、日本では硬い葉を使う。ここだけ違いますが、あとは同じです。阿波番茶は茶葉の色が黒っぽく、「黒茶」と呼ばれます。黒茶は日本には4つあり、あとの3つは愛媛県の「石鎚(いしづち)黒茶」、高知県の「碁石(ごいし)茶」、富山県の「バタバタ茶」です。いずれもカビ付けをしますが、そのまま漬け込んだのが阿波番茶、軽く揉んでから漬けるのが石鎚黒茶と碁石茶。カビ付け後、そのまま乾燥させたのがバタバタ茶で、中国のプーアール茶も同じつくり方です。

―― 発酵というと、紅茶や烏龍茶も発酵させたお茶ですよね。

大森:緑茶は不発酵茶、烏龍茶は半発酵茶、紅茶は発酵茶と言われていますが、発酵というのは微生物が関係したものなので、烏龍茶と紅茶は厳密には発酵ではないんです。烏龍茶と紅茶は、萎凋(いちょう:摘み取った葉をしおらせること)や、揉捻(じゅうねん:葉を揉み込むこと)の過程で水や酸素が加わります。つまり「付加」なんです。だから私は、紅茶は「発酵(付加)」、烏龍茶は「半発酵(半付加)」と言うようにしています。

7.お茶に触れて日本の歴史と文化を学ぶ

急須からお茶を注ぐ大森先生

急須の空気穴は、注ぎ口の位置に合せるのが正解。「味や香りが最もよく出るんですよ」と大森先生。また急須から注ぐ最後の一滴は、「ゴールデンドロップ」とも呼ばれる極上の一滴。お客様にお茶を出すときには、最後の一滴を淹れたお湯呑をお相手に。

―― お茶の歴史を知り、文化に触れると、心身ともに豊かになっていくような気がします。

大森:私は、お茶に触れることで、日本人であるという誇りと自覚をもっていただきたいと思っているんです。そうして日本の歴史や文化を学ぶ。お茶を淹れるというのは、おもてなしです。それは相手に対してはもちろん、自分に対しても言えることなんです。お茶を淹れる時間をもつ、共有するということが大切だと思います。

また、お茶も食べ物のひとつであり、食文化のひとつです。食べ物をいただくときには、素材を買ってきて、調理して、盛り付けて、家族みんなが同席同食でいただく。そうした一つひとつの過程もとても大切ですね。今は核家族化やスマホによる「ながら食べ」などで食生活が乱れ、これが日本文化の乱れにも繋がっていると感じます。だから、これからはもう少し、原点回帰が必要ではないかと考えています。

8.まとめ

お茶大学を創設したお茶博士・大森正司先生のお茶研究は、上司の突然のひと言をきっかけに、紅茶をつくるところから始まりました。以来50年以上、国内外を飛び回り、秋冬番茶をはじめ、奥深いお茶の世界を今なお研究し続けています。またお茶の歴史や文化、お茶を淹れる「おもてなしの心」を次世代に伝える活動も精力的に行なう大森先生。素敵な笑顔から、お茶を愛してやまないことが伝わってきます。


  

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