日本の紅茶の歴史に迫る!話題の和紅茶は実は明治時代につくられていた
2024.08.01
最近、話題のお茶・和紅茶。ですが、実は明治時代にはすでに日本国内で製茶、輸出されていたことを知っていましたか。そんな和紅茶をはじめ、国内で紅茶がいつから飲まれていたのか、日本の紅茶の歴史に迫ります。
1.日本産の紅茶・和紅茶って?その特長を紹介
注目を集めている話題のお茶「和紅茶」とは、どんなお茶なのでしょうか。和紅茶とは、日本国内で栽培された茶の木から採れる茶葉を使用した国産の紅茶のことです。
紅茶に使う茶の木の品種や生産地、生産者によって違いはありますが、一般的な和紅茶の特長としては柑橘や野花のようなやさしい香りと、砂糖を入れていなくてもほんのりと甘みを感じることのできるまろやかな味をしています。また、海外産の紅茶よりも渋味が少なくあと口のよいやわらかさがあります。
2.知られざる日本の紅茶の歴史。そのきっかけは大嵐?
では、日本人はいつから紅茶を飲むようになったのでしょうか。
日本の紅茶の歴史は江戸時代にまでさかのぼります。日本人が最初に紅茶を飲んだのは、寛政年間のこと。現在の三重県・伊勢の船頭である大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)だと伝わります。光太夫は伊勢から江戸に向かう途中に大嵐に遭い、ロシアとアラスカの間にある島に漂着します。
当時のロシアでは船長は上流階級であり、日本は黄金の豊富な国と思われていました。そのため女帝エカチェリーナⅡ世に謁見し、お茶会に招待されたといわれています。光太夫の帰国後の記録には「ロシア人は茶に砂糖とミルクを入れて飲む」といった内容が記されており、光太夫が日本で初めて紅茶を飲んだ人物とされています。
そのため、光太夫がエカチェリーナⅡ世にお茶会に招待された日である11月1日が、日本では「紅茶の日」に認定されています。
3.実は明治時代、すでにつくられていた?国産紅茶の歩み
日本で紅茶が製造され始めたのは、明治8(1875)年のことです。明治政府による勧業奨励として中国の紅茶製造技術者を招き、熊本県山鹿市で地元の茶葉を使って始まったのが本格的な紅茶の最初とされています。
翌年には、インドのアッサムやダージリンに日本人を派遣し、インド式の紅茶製造現場を視察。このとき、白羽の矢が立ったのが元幕臣の多田元吉です。維新後、静岡県の丸子でお茶の栽培法の改良を進めるなど、熱心な茶畑の開拓をおこなっていた人物です。インドでの視察の際にアッサム種をはじめとする種子を持ち帰りました。帰国後、元吉は高知県にて紅茶の製造者を指導。お茶の研究書の著作も多く残しています。
元吉が持ち帰ったアッサム種を日本の品種と掛け合して生まれたのが、日本の紅茶品種第1号「べにほまれ」です。その後、べにほまれとダージリンをかけあわせた「べにふうき」などが誕生し、日本で生まれた紅茶は海外でも高い評価を得、輸出されていきます。
しかし、昭和46(1971)年に紅茶の輸入が自由化されたことにより、海外産の紅茶が多く入ってきたこともあり日本産の紅茶は数を減らしていきます。
こうした先人たちの功績や残されていた茶木が近年、再注目され、2000年ごろから「和紅茶」として復活。新たな日本の紅茶の歴史が始まったのです。
4.まとめ
日本国内で育った茶の木から製造される紅茶の和紅茶。その特長は、柑橘や野花のようなやさしい香りとほんのりとした甘みがあります。
日本の紅茶の歴史は、江戸時代にまでさかのぼります。日本人ではじめて紅茶を口にしたと伝わるのは、伊勢の船頭・大黒屋光太夫です。大嵐に遭い、ロシアに流れ着いた光太夫が当時の女帝・エカチェリーナⅡ世に謁見し、お茶会で飲んだのが最初と言われています。
その後、明治時代に入り、政府の働きによって日本国内での紅茶の製造と輸出がはじまります。元幕臣の多田元吉がインドに視察に派遣され、茶の種子や技術を持ち帰るなど、多くの功績を残します。しかし、昭和46年に海外産の紅茶が多く輸入されはじめ、国内の紅茶は一度衰退してしまいます。元吉たちの残した茶の木が再度、注目を集めて復活したのが現在の「和紅茶」なのです。