トップ > 084 独占インタビュー!現代の美人画の巨匠・鶴田一郎さんの京都での試みとは?

独占インタビュー!現代の美人画の巨匠・鶴田一郎さんの京都での試みとは?

2024.01.01

鶴田一郎さんの画像

ギャラリーにて、煎茶と和菓子を前に、お茶時間を楽しむ鶴田一郎さん。

鶴田一郎さんといえば、化粧品のコマーシャルなどで誰もが目にしたことのある現代の美人画の第一人者。そんな鶴田さんは2014年から京都にギャラリーとアトリエを構え、新たな境地で仏画や曼荼羅を描くなど、旺盛な制作活動を展開しています。今回、そのアトリエにお邪魔して、独占インタビューさせていただきました。ここでしか聞けないとっておきのお話を、たっぷりとお楽しみください。

画家 鶴田一郎さん

1954年、熊本県天草市生まれ。子どもの頃から絵が好きで、東京の多摩美術大学グラフィックデザイン科に進学。卒業後は写実的な作品を描くイラストレーターとして、東京の第一線で活躍する。20代半ばから独自のスタイルで美人画を描き始め、1987年から1998年までノエビア化粧品の広告に起用され、CMアートの先駆者となる。その後、作家活動にシフトし、2007年頃より琳派作品や仏画の制作を始める。2014年、京都にアトリエを構え移住。2022年、醍醐寺霊宝館秋期特別展として、今までの画業を集大成する「鶴田一郎ミューズ達の祈り」を開催するとともに、醍醐櫻曼荼羅を奉納した。

【Artist】https://ichiro-t-works.com

【Store】http://www.tsuruta-bijinga.com

1.○○○を求めて、鶴田さんが京都に移住した理由

30年という長い間、東京で活躍されてきた美人画の巨匠が、京都に移り住んだ理由をたずねました。

――京都に移住されたきっかけは何でしょう?

僕はもともと熊本県天草の出身で、そこでは誰もが顔見知りでした。しかしその後30年住んだ東京は、隣の家の人が誰かも知らないようなところ。「東京は闘うところで癒しがないな」と思って、田舎の付き合いが懐かしくなったこともあり、50歳の頃バブルの崩壊をきっかけに、福岡へ移住しました。福岡は人もいいし、海も近く、魚も酒もおいしくてよかったんですが、10年経った頃、自分を追い立てるようなアートの刺激がもっと欲しいと思いました。

それと、僕の描く美人画の女性の眼は、実は仏像の眼なんです。また、美人画にはアール・ヌーヴォーやアール・デコも取り入れていますが、僕の中では琳派の抽象性、単純性、デザイン性が根底にありました。

還暦を前に、今後は琳派や仏画をさらに追究し、自分を追い込まないといけないと思いました。そこで本場である京都という都に移り住んで、ヨソモノである疎外感も感じつつやっていこうと決め、家族とともに移住しました。

――いざ京都に移り住んでみて、いかがでしたか?

京都は特殊な土地だと思っていましたが、いざ住んでみたらヨソモノでも面白がって受け入れてくれるんです。アトリエとギャラリーになる拠点を決めたあと、上の子の幼稚園を探して、入れるところを何とか確保しました。そうしたら、子どもの同級生が祇園祭の綾傘鉾のお稚児さんの一人に選ばれていたんですが急遽、出られなくなった。そしてなんと上の息子がピンチヒッターとしてご奉仕することになり、得難い体験となりました。京都人でもないのに、よく参加させてくれますよね。

また2022年10月15日~12月4日に、醍醐寺霊宝館で「鶴田一郎 ミューズ達の祈り」を開催しましたが、これも幼稚園の親御さんの中に醍醐寺の方がいたご縁からです。この展示で、醍醐寺に「醍醐櫻曼荼羅」を奉納することもできました。

茶の間の雑貨の表紙の画像

かつて『茶の間の雑貨』の表紙を飾った鶴田さんの美人画。

2.美人画を描くようになったきっかけは○○○

鶴田さんが描く、印象的な唯一無二の美人画。描くようになったエピソードをお聞きしました。

――美人画を描くようになったきっかけは何ですか?

大学時代や卒業後は、写実を超えたスーパーリアルな絵を描いていました。山口百恵や郷ひろみのレコードジャケットも描いたし、早川書房の月刊『SFマガジン』の表紙も2年間描きました。アメリカで作品がアートポスターになったこともあり、イラストレーターとしては、同級生の中では稼ぎ頭でした。

しかしこの手の仕事はデザイナーに主導権があり、描き直し指示などに何度でも応じないといけないんです。もっと自分が主導権をもち、作家としてオリジナリティがある仕事をしたいと思いました。そんな中、26~7歳の頃、いきなり日本画が好きになったんです。

そこで自分のスタイルの模索が始まりました。尾形光琳などに代表される琳派、仏教美術、浮世絵の美人画、アール・ヌーヴォーやアール・デコなどのシンプルで斬新な構図や線、意匠を取り入れながら、日本の女性を描き始めたんです。

それまでの写実的な絵とは正反対の画風です。そうしているうち、5年後に、ファッション情報誌に載った美人画が、当時の商業美術界の重鎮・亀倉雄策先生の目にとまりました。そして大抜擢されて、それからノエビア化粧品のテレビ、CM、雑誌、ポスターに使われるようになったんです。

――鶴田先生の絵は、ノエビア化粧品の広告で目にしている人が多いのではないでしょうか。

ノエビア化粧品には、結局11年間お世話になりました。しかし、テレビやCMの印象が強すぎて僕の絵のイメージが固定してしまいました。これでは次に大きな仕事は来ない。もともと作家を志向していたわけで、もうイラストレーターとしてではなく、絵描きとして展示会活動を中心にやっていこうと思い、心のうちで密かに「アーティスト宣言」をしました。37~8歳の頃です。展示会を開き、その後は地道に絵を売ることをメインとしていきました。

――アーティスト宣言後は、画風に変化があったのでしょうか。

美人画で描く女性は突き詰めると、僕にとっての女神、ミューズです。女性が神に近づき、その延長上にあるのが仏画です。そこで15年ほど前から仏画を描き始めました。最近は仏画作品も増えています。美しくて、見た人が拝みたくなるような仏画を描いていきたいと思っています。

――先生の美人画は、はっとする美しさがありますね。

僕は女性の象徴として月をよく使います。要素をできるだけ削ぎ落し、月の輪郭だけ描きます。美人画のイヤリングの円形や三日月形がそれですが、イヤリングの形というよりは「装っている」という印として置いています。

また、真横を向いた絵でも、見えない側のまつげを描きます。指も第二関節だけが折れているという、実際にはあり得ないかたちです。いずれも琳派の意匠に通じる表現です。人は見立てというものができるので、写実的であるよりも、それを美しく感じるんですね。

作品を仕上げる鶴田さんの画像

アトリエは鶴田さんにとって最も居心地よい空間。音楽をかけながら、無数の筆を使い分けて作品を仕上げていく。

3.巨匠の新たな試み、仏画への想い

独特のタッチで人々を魅了する美人画の巨匠・鶴田さんが、新たに取り組む仏画について、教えていただきました。

絵の想いを語る鶴田さんの画像

「思わず手を合せてもらえるような美しい仏画を描いていきたい」と語る鶴田さん。

――仏画の話をもう少し詳しくお聞かせください。

本来の仏画というのは、仏像のからだにはヒトと違うところが32ヵ所あるなど、仏教の経典上のいろいろな決まりごとがあります。足が短く、胴が長く、首に3本の線があるとかね。また本来は上半身だけ描くというのはあり得ず、宗教的な意味をもたせるには全身が必要です。

でも僕はそれにはあまりこだわらず、僕なりの新しい仏画でいいと思って描いています。僕が美しいと思ったアングルで切り取り、神々しくて美しくて、見た人が手を合せたくなるような仏画を描いていきたいですね。

――美人画や仏画は、日本画になりますか?

本来の日本画は、絹本(けんぽん)に岩絵(いわえ)の具で描くものなので、そういう意味では日本画と違います。僕も岩絵の具を使うことはありますが、基本的にはアクリル絵の具です。しかし琳派や浮世絵の影響を受けていますから、日本画の流れを汲んでいるといってよいと思います。

――2022年に醍醐寺に奉納された「醍醐櫻曼荼羅」は、醍醐の桜を中心に、地球があり、それを仏さまの掌が包み込んでいるような絵ですね。

制作には2年かかりましたが、描きたい欲求が最後まで続きました。描いていて、この先に何があるのかと自問し、それは「祈り」なのかなという気持ちになっていきました。

仏教に限らず、誰かに守られている、見られている、自分を律する大きな存在がある、という宗教観が日本人にはあります。空の上の広い宇宙もあるけれど、草木にも宇宙があり、地球を包み込む大きな掌の中にも宇宙があります。

近い未来に、醍醐寺さんが人工衛星内に宇宙寺院を置き、地球の平和を祈ることになっているそうですが、そんなイメージも重ねています。掌の中にある宇宙と祈りを感じてもらえたら幸いです

醍醐櫻曼荼羅の画像

2022年に醍醐寺に奉納された「醍醐櫻曼荼羅」

4.ここだけ情報!鶴田さんが好きなお茶って?

制作や展覧会など、精力的に活躍されている鶴田さん。今も昔も身近な存在だというお茶の話をお聞きしました。

――制作中にお茶は召し上がりますか?

以前は仕事に追われ、絵を描くのに夢中になっていて、余裕をもってお茶を楽しむ時間がありませんでしたが、今は、要所要所で日本茶をよく飲んでいます。

かつて天草の実家で暮らしていたときは、よくお茶を飲みました。お茶といえば、白折(しらおれ)茶でした。福岡県産の八女茶の茎茶になりますね。これがまさに「おふくろの味」で、おいしかったです。それと、東京に出たあとも、若い頃は田舎に帰ると、「お茶、飲むか?」とみんなが出してくれました。天草ではお茶が生活の中にありましたね。

今は家で毎食後に必ず日本茶を飲んでいます。また来客時にも妻が淹れてくれる日本茶を飲んでいます。煎茶が多いですね。時間があるときはお茶の時間に季節のお菓子も添えていただいています。京都の和菓子は季節感があってよいですよね。

お茶を飲む時間は本当にほっこりします。こういう時間も必要なんだなと、最近は思っています。

――お抹茶はどうでしょう?

抹茶はお寺などでよくいただくことがあります。また、お茶席に呼ばれて一番上席に座らされることもあり、作法を知らないと困りますね。

実は、京都に来たらやってみたいと思っていたことに、華道、茶道、書道があるんです。華道はすでに習っていて、稽古に月一回通っています。華道の美意識は興味深く、季節の花にも触れることができ、日々勉強です。茶道の美意識にも触れたいし、茶道はぜひやってみたいですね。

煎茶と上生菓子の画像

取材時のお茶は、上質の煎茶に亀屋則克の上生菓子「山茶花」を添えて。茶器は奥様が折々に骨董店などで買い集めたもの。

5.まとめ

現代の美人画の巨匠・鶴田一郎さんのここでしか見られない貴重なスペシャルインタビュー、いかがでしたでしょうか。京都に移住した理由は、琳派や仏画をさらに追求したいとの思いから。美人画を描き始めたきっかけは、自分のスタイルの模索で、琳派、仏教美術、浮世絵の美人画などのシンプルで斬新な構図や線、意匠を取り入れながら女性を描き始めたことでした。近年は、鶴田さんならではの新しい仏画を描かれています。

また、最後に好きなお茶についてもお聞きすることができました。ファンならずとも興味深い内容だったのではないでしょうか。2024年4月には70歳を迎えられる鶴田さん。これからどんな新たな作品が見られるのでしょうか。今からとても楽しみです。


この記事で取り上げた商品