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お茶の世界史を呼び名から迫る。 「チャ」と「ティー」の違いとは?

2023.01.01

世界中の人々に親しまれているお茶。古くは薬用として、今は生活に欠かせない飲み物として楽しまれています。世界史を紐解けばイギリスやインド、ヨーロッパをはじめ、各地で貿易がなされ、歴史と深い関わりを持っています。

日本ではお茶を「チャ」と呼びますが、イギリスでは「ティー」、インドでは「チャイ」など、さまざまな呼び名があります。お茶の世界史を呼び名から紐解くと、今まで見えなかった人との関わりが見えてくるかもしれません。

今回はお茶の呼び名から見えるお茶の世界史を紹介します。

湯呑みのお茶

お茶の世界史 ~「ティー」と「チャ」の違い~

お茶の呼び名の世界史に触れる前に、まずは茶の誕生からたどっていきましょう。

茶の誕生は中国

そもそも、お茶が最初に発見されたのは、紀元前2700年頃、中国雲南(うんなん)省の山岳部だと推定されています。その近辺では「野生大茶樹」といわれる茶の巨木が発見されていて、高さ10−20mになるものもあるともいわれます。中国ではそういった巨大な茶の樹を「茶樹王」などと呼び、大切に保護をしています。

唐代の文人、陸羽(りくう)による『茶経(ちゃきょう)』は茶に関する最古の書物です。茶のバイブルとも呼ばれ、茶について系統立てて紹介する内容で、760〜763年ごろに刊行され、冒頭は「茶は南方の嘉木(かぼく)なり」という有名な一節で始まります。 「茶」という漢字が確定したのもやはり同じく唐時代(618年 - 907年)の初期からといわれます。
歴史作家・陳舜臣さんは『茶の話 茶事遍路』(朝日新聞社)のなかで、「喫茶の風習は原産地に近い四川地方で最も早く普及し、やがて長江沿いに、茶樹栽培に適した江南地方に広がったはずだ」と推測しています。

海路か陸路か——伝播ルートにより変わる名前

こうして中国の唐代、世界史のなかにお茶の存在が刻まれました。
唐代以降、時代とともに世界中に広がっていく過程で、大きく茶の呼び方は2つの系統に分けることができます。ひとつは日本でも呼ばれる「チャ」の系統であり、もうひとつは英語でおなじみの「ティー」の系統です。

実は、この「チャ」と「ティー」の呼び名の違いから、お茶の世界史がわかる——。そんなダイナミズムのある説を紹介しているのは、日本における茶樹の権威・橋本実さんです。橋本さんは世界各国で茶がなんと呼ばれているかを分類し、比較して「チャ」と「ティー」の2つの系統に分けています。
そこで、橋本さんが紹介する「茶がどのようなルートを辿ってその土地に伝わったかにより、呼ばれ方に違いが生まれたのではないか?」という説はユニークです。

お茶の呼び名の違いや伝播ルートを示した世界地図

橋本実さんの『茶の起源を探る』(淡交社)によれば、広東(カントン)省周辺から、陸路すなわちシルクロードを通じて伝わっていったお茶は、「チャイ」や「チャ」などと呼ばれるようになりました。北方では北京、朝鮮、日本、モンゴルへ。西への伝播はチベット、ベンガル、インドから中近東、さらに一部東欧圏へと伝播していきました。

一方、中国の福建(ふっけん)省周辺から海路を通じて伝わっていったお茶は「テー」と発音される系列で、イギリスやオランダ、ドイツ、北欧で「テ」、「ティー」として定着したといわれています。

なお、例外もあります。西欧では海路で運ばれたはずのポルトガルが「ティー」と呼ばずに「チャ」と呼んでいるのは、かつて広東省の澳門(マカオ)がポルトガルの植民地だったため、そのまま広東での呼び名が残っていると考えられています。

ちなみに、飛行機で輸送する空路は20世紀になるまで待たねばならず、当時は陸路と海路しかありませんでした。

「茶の呼称の伝播は、茶そのものの伝播とまったく無関係ではないはず」と指摘するのは経済史家の角山栄さんです。
角山さんは『茶の世界史』(中公新書)のなかで、橋本実さんの紹介を踏まえて、イギリスへは南海航路を経て福建語の「テー」が入ってきたことに対して、貴重な指摘をしています。『英印口語辞典』によれば、17世紀中頃、イギリスに茶がはじめて導入されたときは「チャ」と綴っていましたが、フランス語を借りて「ティー」系列の呼び名に切り替わったそうです。その状況から、ヨーロッパで海路由来の「ティー」が広まった理由は、厦門(アモイ)と直接貿易を始めたオランダの影響が強いのではないかと指摘しています。

日本での呼び名は「チャ」、広東・陸路から

続いて、日本での茶の呼称についても見ていきましょう。
ご存じのとおり、日本での呼び名は「チャ」、つまり広東の系列に当たる言葉が陸路を経て、海を越えて伝来したものというと想定されます。

日本にお茶が伝わったのは、平安時代初期です。遣唐使の僧・永忠(えいちゅう)が、嵯峨天皇にお茶を献上した話が『日本後紀』に残っています。

物質としてのお茶は平安時代に日本に伝播しましたが、お茶をどう楽しむのかについて、つまり「喫茶の文化」は流行(トレンド)の変化がありました。
日本には過去3度、当時の先進国である中国から喫茶文化が伝えられました。

  • 1度目は9世紀、平安時代前期に唐から、茶を煮出す文化
  • 2度目は12世紀、鎌倉時代初期に宋から、抹茶に湯を注いで飲む文化
  • 3度目は17世紀、江戸時代前期に明から、茶を湯に浸して飲む文化

しかしながら、いずれも呼び名が変わることはなく「チャ」の系列にあたる、「茶」と呼ばれ続けています。

お茶の呼び名から伝播のルートがわかる——。決して記録に残ることがない茶貿易の歴史を、「チャ」と「ティー」の呼称から想像するのは、まさに世界史のダイナミズム。呼称から見えてくる「お茶の世界史」があるのです。

ティー代表の紅茶とチャ代表の日本茶の違いってなに?

日本茶も紅茶も、実は、「カメリア・シネンシス」という同じ植物の葉を加工することによってできています。では、なぜ水色(すいしょく)や風味に大きな違いがあるのでしょうか?

その理由は、生葉の酸化の度合いの違いです。日本茶は、生葉を加工する際に蒸すことで酸化しようとする働きを止めたものであるのに対し、紅茶は完全に酸化をさせたものです。そして、日本茶と紅茶の中間に位置するのが烏龍茶で、ある程度酸化させることでつくられます。そのほかにも、カビや乳酸菌などの微生物を働かせてつくるお茶もあります。

生葉

お茶の驚き情報

知ると世界史がもっと面白くなる、お茶の驚き情報をご紹介します。

❶ 中国には20メートルにも及ぶお茶の木が存在

日本の茶の木といえば低木が主流ですが、チャの原産地と推定されている中国雲南省では、高さ10メートルから20メートルに及ぶお茶の巨木が発見されています。

中国の20メートルにも及ぶお茶の木

※イラストはイメージです。

❷餅に似た形をしたお茶が楽しまれていた

中国に伝わる世界最古のお茶に関する書物『茶経』によると、唐の時代では、「餅茶(へいちゃ)」と呼ばれる、文字通り餅の形をした固形茶を人々が楽しんでいたという記述があります。

飲むときは餅状の茶を削って粉砕し、塩を入れた湯に加えて飲んでいたそうです。

餅に似た形をしたお茶

NPO法人日本茶インストラクター協会

日本茶の普及や歴史を継承するために設立された特定非営利法人(NPO)。日本茶インストラクター・アドバイザーの試験実施と認定、日本茶に関する通信教育の実施や日本茶文化啓蒙のためのセミナーやイベントの開催など、幅広く日本茶の普及にかかわる。

【住所】東京都港区東新橋2-8-5
【電話】03-3431-6637
【HP】https://www.nihoncha-inst.com/

4.まとめ

普段飲んでいるお茶の歴史をひもとくと、さらに深い世界が広がっています。お茶の世界史を知ることで、植民地や貿易について思いを馳せることによって、いつものお茶の味が変わってくるかもしれません。

チャとティーの違いに思いを馳せながら、お茶のひとときを楽しんでみてくださいね。


  

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