【伝統文化を守る】祇園祭、楽譜のないお囃子を譜面に残す偉業に迫る!
2026.07.01

笛を吹く川塚さん。お囃子はすべて頭に入っているそう。
京都の夏の風物詩、祇園祭の季節になると「コンコンチキチン…」と聞こえてくるのが祇園囃子の音色です。実は長年口伝で受け継がれてきたことをご存知ですか。次世代へ遺すため譜面に書き起こした京都の特別な人がいます。菊水鉾町で生まれ育った川塚菊凰さんにお話を伺いました。
川塚菊凰さん
昭和21年、京都市菊水鉾町に生まれる。京都外国語大学卒業。長年、菊水鉾の囃子方を務め、祇園祭山鉾連合会理事なども歴任。フリー写真家としては『京都祇園祭を歩く』(日本写真企画、2009年)掲載の、祭の内側を知る者ゆえの斬新な写真は、その後の祇園祭報道の手本にもなる。祇園祭の記録を残すことに人生を賭ける。
1.菊水鉾町で生まれた川塚さんに託された運命とは

祇園囃子との出会い
京都の7月を彩る祇園祭の前祭で、全10基ある鉾のうちの一つが菊水鉾です。実は江戸時代末、蛤御門の変に伴う大火で焼失し、昭和27年(1952)に88年ぶりに復興した「昭和の鉾」です。
菊水鉾町に生まれた川塚菊凰さんが7歳のときに、菊水鉾が復興しました。川塚さんはすぐに囃子方に入門し、以来ずっと続けてきました。そして平成17年(2005)、それまで口伝で受け継がれていたお囃子の演奏法を譜面に起こし、『菊水鉾 祇園囃子』として冊子にまとめました。
祇園囃子を次世代へ残すために

川塚さんが音源から採録して出版した『菊水鉾 祇園囃子』はずっしり890ページもある。
「祇園囃子は鉾町ごとに少しずつ違います。そして菊水鉾のお囃子は江戸末期から80余年もの間、演奏されることもなく、口伝も失われていました。そこで復興当初は月鉾さんの協力をいただき、月鉾のお囃子からアレンジして新たにお囃子をつくり、今の菊水鉾のお囃子として定着したんです」と川塚さんは語ります。
祇園囃子は鉦(かね)、太鼓、笛の3種の楽器からなります。このうち鉦の譜面はありましたが、太鼓や笛の演奏は、先輩から教わり、耳と身体で覚えるのみでした。「せっかく復興したお囃子がまた失われてしまってはいけない」と使命感にかられた川塚さんは、これを後世に残すためにパソコンに向かい、テープを何度も巻き戻しながら聞きつつ記録していったのです。
2.口伝で受け継がれてきたお囃子を譜面に起こす
口伝で受け継がれてきた祇園祭のお囃子には「渡り囃子」と「戻り囃子」があります。「渡り囃子」は、鉾が四条烏丸から八坂神社に向けて四条通を進む際のゆったりした奉納囃子です。それが「辻回し」で方向転換し、河原町通や御池通を通って鉾町に帰っていく際は、有名な「コンコンチキチン・コンチキチン」という速いテンポの「戻り囃子」となります。辻回しも曲調に変化があり、四条御旅所では奉納のために神楽と唐子を奏でます。
「この戻り囃子が早いので、カセットテープの時代は細かい巻き戻しができず、譜面づくりをあきらめていた時期もありました」と語ります。しかし、あるとき京都市立芸術大学の伝統音楽センターの事業に協力したのがきっかけで、お囃子の音源をCDにしてもらうことができました。「CDだと秒単位で止めることができるんです。これで一気に作業が進みました」。こうして川塚さんが譜面に起こした曲は43曲にもなったのです。7歳から始めて鉦、太鼓、笛の3つの楽器を経験し、すべてのお囃子が骨の髄まで染み込んでいる川塚さんだからこそできた偉業でした。

(右)お囃子の譜面。鉦、太鼓、笛の演奏法が独特の記号で記載される。(左)川塚さん愛用の笛。能楽用の横笛「能管(のうかん)」を用いる。
3.祇園囃子を未来に繋ぐためのさらなる活動
伝統を失わないための革命
実は川塚さんのように3つの楽器に熟達している人は、従来あまりいませんでした。鉦で入門後、太鼓か笛に役割が固定する習わしだったそうです。川塚さんは高校生で太鼓に「昇格」しましたが、あるとき、出囃子(お囃子の出張)で笛の人数が足りず、笛を吹くふりで参加したところ、最初から音が出せたそうです。それがきっかけで、その後は長く笛方を務めました。
「自分の楽器しか知らないとほかの楽器のタイミングが読めず諍(いさか)いが起こることもあります。そこで、菊水鉾では改革を行ないました」と川塚さんは語ります。今では太鼓に昇格した者は同時に笛の練習も始め、皆が3つの楽器を経験する「三位一体」の改革で、演奏も人間関係も調和がとれてきたのだと教えてくれました。
「祇園祭の知られざる部分はまだまだある」
ずっしりと分厚い『菊水鉾 祇園囃子』ですが、「これを見ながら演奏するということはない」と川塚さんは言います。譜面はあくまで後世に伝えるためのものとして記録に残ったのです。そして川塚さんの次なる目標は、鉾の車輪についての論文を書くことだと教えてくれました。江戸期の車輪の構造は現在のものと違い、360度の車輪を7分割していたのだとか。今は失われた伝統技術を後世に伝えようと、再びパソコンに向かいます。
京都の鉾町に生まれて79年、祇園祭に人生を捧げてきた川塚さんは、「調べるほどに、祇園祭にはまだまだ知らないことがたくさんある」と探究の日々を送ります。先人の知恵を後世につないで残したいと、京都の特別な人である川塚さんの意欲と情熱は尽きることがありません。
4.まとめ
菊水鉾町に生まれ、菊水鉾の復興をきっかけに鉾とともに人生を歩んできた川塚さんは、伝統を途絶えさせてはならないという強い使命感のもと、これまで口伝で受け継がれてきたお囃子を譜面に起こすという偉業を成し遂げました。川塚さんが起こした譜面をまとめた冊子『菊水鉾 祇園囃子』は890ページにものぼります。また今の菊水鉾では、皆が3つの楽器を経験する「三位一体」の改革で、演奏も人間関係も調和がとれてきたそうです。
川塚さんの祇園祭への情熱は尽きることがなく、次は鉾の車輪についての論文を書くため、今もなお探求の日々を過ごしています。川塚さんのように先人の知恵を後世につなぐ方がいるから、京都の文化が今も根付いているのです。
