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お茶に魅せられた文学者3名の生き様〜随筆に綴る新茶の魅力とは?〜

2026.05.01

原稿用紙と万年筆の画像

今も昔も人々を魅了してきたお茶。それは文学者たちも例外ではありません。本記事では、昭和の時代に活躍した女性作家3人が書いた新茶についての随筆を、その生い立ちとともにご紹介します。美しい文に綴られた新茶をイメージしながら、文学作品をお楽しみください。

1.-ファンタジックな文章で綴る新茶-
【歌人・小説家】岡本かの子

1889-1939

岡本かの子の肖像画

(国立国会図書館 デジタルコレクションより)

波瀾万丈な人生を生きた天才歌人

1970年開催の大阪万博の「太陽の塔」で知られる芸術家・岡本太郎の母である岡本かの子は、大正・昭和期に活躍した歌人で小説家です。

与謝野晶子に師事し女学校在学中から短歌を発表、その才能を早くより発揮します。

明治43年(1910)に画学生だった漫画家の岡本一平と結婚、翌年に太郎を出産しました。しかし、夫婦関係は順風満帆とはいえず、波乱に満ちた人生を送ります。

その一方で洗練された感性と独特の耽美的な文体で、49歳で急逝するまで多くの人々を魅了しました。

比喩が美しい、ファンタジックな随筆

新茶を淹れた湯呑みと岡本かの子の文章の画像

(「新茶」一九三六年五月記/『岡本かの子全集 第十二巻』1976年 冬樹社)

そんなかの子が綴った、新茶を讃えた絢爛たる文章です。新茶を「若葉の雫を啜る」かのようと表現しています。

かの子は、白磁の茶碗の中でゆらめく水色(すいしょく)は「青湖の水」と比喩しました。続く短歌では「さなりき、誘ふニンフも/誘はるゝ男妖精も共に髪ぞ青かりし」と詠んでいます。これは新茶を湖のほとりに見立て、美しい妖精「ニンフ」たちが戯れるさまのことです。歌人は、青い髪のお茶の精霊が宿ると感じるほど、新茶の代え難さを感じていたのです。

2.-新茶が飲みたくなる随筆-
【随筆家】大村しげ

1918-1999

台所でかっぽう着を着ておばんざいを作る大村しげのイラスト

(イラスト・ニシモトタクミ)

「暮らし」を大切にしてきた随筆家

京都の家庭料理を意味する「おばんざい」という言葉を全国に広めた一人に、大村しげがいます。

しげは京都の祇園にある仕出し料理屋に生まれました。昭和10年(1935)京都女子専門学校(現在の京都女子大学)への進学を機に、寺町姉小路の長屋に一人で移り住みます。以降は平成11年に80歳で亡くなるまでの一生をここで過ごしました。

生涯の住居であったこの長屋でしげは季節の風物や暮らしの物事を大切に執筆していきます。

野菜の皮から新聞紙の一枚に至るまで暮らしを大切にしてきた京の随筆家は、お茶についてもたびたび書き記しており、その中でも新茶については季節の風物として次のように述べています。

「お茶屋さんの表に“新茶あります”の紙が張り出されると、いっぺんにさわやかな気分になる。(中略)それを飲むと寿命が延びるという」

5月、新茶の入荷を知らせるお茶屋の貼り紙に、季節の訪れを感じて気持ちが「さわやかな気分」に変化する様子を実に巧みに表現しています。季節を重んじ、暮らしを大切にしてきた随筆家・しげならではの文章です。

生活の中の喜びとしての新茶

青空の下に広がる茶畑と大村しげの随筆の画像

(「お茶」『冬の台所ー京のくらしうた』1980年12月 冬樹社)

「お茶に限らず、わたしらは、その季節の初ものをいただくときに、七十五日寿命が延びるというて、うれしがる」と縁起物としての新茶を喜びながら「別に本気で信じたり、笑うたりするわけではないけれど、これも暮らしのなかのお遊びである」と続けています。

「おばあさん」から聞いたという、罪人の寿命が延びたという初物にまつわる逸話を紹介しながら「暮らしのなかのお遊び」と笑う姿に、京都人の暮らしを楽しむ粋を感じます。

しげの軽やかで人情味溢れる文体で書かれた新茶のなんとおいしそうなこと! 香りを「よろしい」と美しい京言葉で記し、「ゆっくりすすっていると、からだがすーっと軽うなって」という新茶の表現に、読み手も思わず深呼吸してゆっくりとお茶が飲みたくなります。

3.-新茶に生命の煌めきを感じ取る-
【作家】岡部伊都子

1923-2008

着物を着て椅子に腰掛ける岡部伊都子のイラスト

(イラスト・ニシモトタクミ)

新茶の若々しい生命力を讃えて

岡部伊都子は、大正12年(1923)、大阪市に生まれた随筆家です。女学校を病気療養のために中退。婚約者が沖縄戦で戦死し、このことが伊都子の人生観に強い影響を与えます。神戸市や京都市を中心に活動しました。

昭和25年(1950)に雑誌に投稿した「ねまきの夢」が掲載されたことをきっかけに文筆家としての一歩を踏み出します。伊都子はのちに自身の文章を「いつも自分がそのとき何を思うているかを、書きつづけてきましたん」と記しています。

その言葉の通り、彼女の題材は日常や季節の「美」から、沖縄問題やハンセン病などの社会問題にいたるまでさまざま。85歳で没するまで、著書が130余冊にのぼるほど書き続けました。

新茶の若々しい生命力を讃えて

青々とした茶葉と岡部伊都子の文章の画像

(「美しいお茶」『紅のちから』1983年7月 大和書房)

このように「生命」と向き合い続けた伊都子は、新茶にもその生命の煌めきを感じ取っています。

かつて茶摘みの担い手である女性と茶畑を歩いたときに見た「まろい曲線を描くお茶の木栽培の丘」の環境の麗しさに感動したことを記しながら「雨の日、風の日、炎天の日などは、なかなかきびしい労働だろう」と担い手を気にかけ、伊都子らしさを滲ませます。

そんな茶畑で摘まれた新芽を「若葉は、まこと若緑の炎。いのちの照りいでる清らかな光にみちている。中でも、お茶の若葉は美しい」と、旬を迎えた茶の葉っぱの輝かしさを「美しい」と筆にのせています。というのもこの随筆の題名は「美しいお茶」で、伊都子がお茶に強い関心があることがうかがえます。

また、急須の中で開いた新茶の葉を見つめ「この世の風に手をさしのべて、ようやく伸びてきたばっかりの若葉」と「幼い葉の全身のエキスを、いま吸わせてもらったのだ」と、新芽の生命力を讃え、その一杯の有り難さを実に美しい文章で記しています。新茶をいただくのがより一層尊く、おいしく感じられる名文です。

*引用文底本は、中里恒子編『日本の名随筆24 茶』(1984年10月 作品社)より。引用内ルビは引用者による。

4.まとめ

お茶に魅了された昭和の女性作家たちの新茶を綴った随筆を3作品ご紹介しました。同じ新茶についての随筆でも、彼女らの生き様によってそれぞれ違った味わいを生み出しています。ゆっくりお茶を飲みながら、お茶にまつわる文学作品を味わってみてはどうでしょうか。


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