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忙しい現代人でも無理なくできるご供養を。京都の名物住職にきくお盆の心

2024.08.01

京都大行寺の英月住職の画像

日本古来の風習・お盆。しかしライフスタイルが変化する中、きちんと行事をすることが難しい方も増えています。「お盆はきっかけ。できる範囲で故人と向き合えばいいのです」という京都大行寺(だいぎょうじ)の英月(えいげつ)住職に、現代のスタイルで供養する方法を教えていただきました。

大行寺 英月(えいげつ)住職

京都市生まれ。2001年に単身渡米し、アメリカで僧侶としての活動を開始。帰国後、大行寺住職に。主催する「写経の会」「法話会」には、全国から多くの参拝者が集まる。情報番組のコメンテーターほか、毎日新聞にて映画コラム「英月の極楽シネマ」を連載中。著書多数。近著は『浄土の歩き方:行きたいと思ったときに来てくれるのが阿弥陀の国! 』(春秋社)。『お見合い35回にうんざりしてアメリカに家出して僧侶になって帰ってきました。』(幻冬舎)は、翻訳され台湾でも出版された。
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1.お盆の意味とは?なにをするの?

英月住職が話す画像

■お盆は亡き人との出遇い直しの機会です

日本の伝統的な行事である「お盆」は、年に一度、ご先祖様をお迎えし、ご供養するものというイメージがあると思います。

でも、実は私の宗派である浄土真宗では、先祖供養という考え方はないのです。宗派によってさまざまな考え方がありますが、浄土真宗の教えでは、亡くなった方はこの世での命をまっとうした方であり、亡き後は浄土に往生し、仏様になられた存在です。生前は「個人」として存在していますが、「個」から解放された仏様となられているので、お迎えすることがないのです。

かといって、お盆の時期になにもしないわけではありません。お盆をご縁とし、仏様となられた亡き人を思い、生をまっとうした命の先輩である亡き人がおられる阿弥陀様の浄土を思う大切なときです。

私個人の話をさせていただくと、私には「おじじ」と呼んで慕っていた祖父がいました。お祖父ちゃん子でおじじのことがとても好きだったのですが、それでも生きて一緒に過ごしているときは、世代間ギャップなど価値観の相違もあり、けんかもしましたし、いつも仲よくというわけではありませんでした。祖父が亡くなって浄土に還られた今、祖父は個という存在から離れ、おじじであっておじじでない存在です。仏になられた命の先輩として改めて向き合うと、生前、個と個として関わっていたときとは関係性が変わり、おじじが言った言葉の意味も違って聞こえてきます。仏となった故人は、今を生きる私たちが、「成仏できたかな、大丈夫かな」と心配する存在ではなく、逆に、私たちのことを見守り願ってくれる存在なのだと気づかされます。

私はこれを亡き人との「出遇い直し」だと思っています。

2.お盆はご先祖様のご恩に感謝するとき

阿弥陀の仏像の画像

■仏となったご先祖様と向き合うことは、自分と向き合うことにもなっている

浄土真宗の御本尊は阿弥陀という仏様です。阿弥陀とは音写語で、漢字に意味はありません。「ア・ミタ」と分けることができ、アは否定、ミタは量るという意味があり、漢字で表すと「無量」です。

私たちは、常になにかと比較したり、量ってしまいがちです。私も、ついレストランで隣の人の料理のほうがちょっと多かったんじゃないか、とか、今日の取材でもちょっとでもキレイに写してほしいとか、人と比べたり、過去の自分と比べたり、小さいことでもなにかと量ってしまうことを、なかなかやめることができません。

それでも仏様と向き合い、手を合せることで、「量ることの無い」はたらきである仏様によって、量っている自分の姿が知らされるのです。

3.花や線香…お供え物は、無理のない範囲で

南無阿弥陀佛の掛け軸の画像

■ライフスタイルにあったやり方でご先祖と向き合う

今はライフスタイルの変化で、ご自宅にお仏壇がない方もいらっしゃると思います。それでも「南無阿弥陀仏」と書いた紙を提げて手を合せるだけでも、仏様の存在と向き合うことができます。

そんなふうに常日頃からお仏壇に手を合せ、仏となったご先祖様と向き合うのが理想ですが、現代では忙しくてなかなかできない方もいらっしゃると思います。だからこそ、お盆はいい機会です。言葉は軽いですが、お盆はいわば「ご先祖様強化月間」。普段は忙しくても、この時期はお仏壇に手を合せ、亡き人の好きだったものを手掛かりとして、亡き人と向き合う時間を過ごしてください。

正座する英月住職の画像

■お供えは亡き人とつながるきっかけ

お供え物にも宗派によってさまざまな決まりがあると思いますが、大切なのは、亡き人を偲ぶ心です。例えば、浄土真宗ではお茶やお水はお供えせず、代わりに、お浄土に湧き出ている八功徳水(はっくどくすい)の象徴としての水を華瓶に入れ、樒(しきみ)を挿してお供えします。そのため、本来は生花を供えなくてはなりませんし、私もそのように努めています。しかし、日本の夏は花が傷みやすく、毎日の水替えや手入れ、用意する費用など、負担が大きくなってしまうものです。生花を供えるのを義務のように感じ、ストレスになってしまうと、本質を見失ってしまいます。そうなっては本末転倒です。亡き人を想う心を大切に、無理をせず、造花を供えるなど、できる範囲でのお供えで、亡き人と向き合ってください。

お花やお線香、お盆の特別なお膳のほかにも、亡き人が好きだったお酒やたばこを供える方もいらっしゃいますし、ある阪神ファンの亡き人のお仏壇に、阪神グッズをずらっと飾っている方もおられました。亡き人が好きだったものを供え、ご先祖様と向き合ってはいかがでしょうか。ただし、お供え物は、あくまで亡き人を思い出す手立てであり、そうでなければ何を拝んでいるのかを見失ってしまうことを、心の片隅に。

4.まとめ

仏となり、私たちを身守ってくれているご先祖様。たとえ日々忙しくても、お盆の時期にはご先祖様を思い、手を合せてみてはいかがでしょうか? 「お盆はこうしなければ」という考えにとらわれると、故人を偲ぶという本質が見えなくなってしまいます。できる範囲でかまわないので、お花やお線香を用意し、故人と向き合ってほしい。そんな京都・大行寺の英月住職のお話から、お盆の過ごし方が見えてきます。


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