4代目京菓子店当主・太田達さんに聞く伝統を革新する哲学
2024.05.01
京都の有職菓子御調進所「老松」の当主である太田達さん。創業100年を超える家業を独創的な発想で改革し、異彩を放つ経営者として知られます。有斐斎弘道館の理事、工学博士、さらに茶人でもある太田さんの伝統への哲学と取り組みについてお聞きしました。
目次
有斐斎弘道館 代表理事 有職菓子御調進所 老松 当主 太田 達さん
おおた とおる/昭和32年(1957)、京都市生まれ。茶人、工学博士。有職菓子御調進所 老松当主。公益財団法人有斐斎弘道館代表理事。立命館大学食マネジメント学部教授、平安女学院大学伝統文化研究センター客員教授、京都芸術大学通信教育部食文化デザインコース非常勤講師ほか。専門は、食文化、茶道文化史、宴会論、伝統産業論、菓子文化研究、マーケティング論。有斐斎弘道館において、茶文化をはじめとする各種講座を受け持つ。著書に『動画で手ほどき やさしい茶道のきほん「美しい作法」と「茶の湯」の楽しみ方』(メイツ出版)、共著に『平成のちゃかぽん 有斐斎弘道館 茶の湯歳時記』(淡交社)など。
1.会社の再建を託され、23歳で「老松」の4代目当主に
――幼いころから、京菓子は身近な存在でしたか?
いえ、そんなことはないんですよ。僕が生まれたのは京都の北山・鴨川の近く。祖父は手広く事業を営んでおり、老松はそのうちのひとつです。
僕が小学生になるくらいまで、うちは実に裕福で、子ども専用の女中さんがいたり、運転手付きの、リンカーンコンチネンタルだったかな、そんな高級車で移動したりするような暮らしでした。新年の挨拶をしに職人さんが大勢、我が家を訪れることはあっても、家とお店は離れていたし、老松のお菓子を日常的に目にすることはなかったですね。
――いつごろ家業を継ごうと思われたのですか?
明確にはいえないのですが、父が老松の3代目を継いでいたので、成長するにつれ、薄々、いずれは自分も継ぐのかも……と気付くじゃないですか。これは将来、職業選択の自由がなさそうだと。そこで、今のうちに好きな勉強をしておきたいと、なんとか頼み込んで、大学は地元から離れた島根大学へ行かせてもらいました。農学部に進み、当時はまだはしりだったDNA研究をしたり、藻の光合成で発電したりとか、変なことばっかりやっていました。
――理系の最先端の研究をされていたのですね! 現在のご活動がどちらかというと文系のイメージでしたので、少し意外です。
高分子系の化学が好きだったんです。それに、菓子づくりって、突き詰めると化学や物理の世界。理系の知識は役立っていますよ。思う存分、研究に明け暮れていたある日、老松の番頭さんが島根まで来ました。「このままではお店がつぶれてしまう」と言うんです。大学院修士課程の半ばで、とりもなおさず京都へ帰ることになりました。
――京都に戻って、老松の仕事に就かれたのですか?
完全な“ぼんぼん”である父の代で経営が傾いていたため、父に退いてもらい、23歳で僕は4代目となりました。菓子屋を継ぐとなれば、まず、他店へ修業に行くなり、製菓学校へ通うなりするのが普通のルートとされています。でも僕は、習わんでもできるやん、と思った。そこで番頭さんに、「修業に行かせたつもりで、いったん会社勤めをさせてくれ。自分が老松の社長業を担えるか見極めたい」とお願いしたんです。
「丸紅株式会社京都支店(現・京都丸紅株式会社)」へ入社し、平日は呉服を扱う商社の営業として働き、土日は老松で菓子づくりをするという二足のわらじの生活をしていました。お茶と正式に向き合うようになったのは、この時期です。
――お茶を習い始められたとか。
京都に戻ってまもなく、井口海仙さんに弟子入りしました。裏千家十四代家元・淡々斎の弟さまで、もう、神のような方。ところが、井口さんのお友達とマージャンをする機会があり、「習いたいなら、言うたげる」と、紹介してもらえました。また、丸紅の京都支社ビルには茶室があって、いいお道具もそろっていました。会社が茶室を使われるとき、お手伝いをさせていただいたりもしましたね。
2.「老松」の仕事でお茶と向き合うように
――もともと、お茶には馴染みがあったのですか?
幼いころからお茶のお家元の歴代の名前は全部覚えていました。これは祖母の影響です。彼女自身はお茶をしていませんが、公家の出で、文化活動に理解が深い人。歴代天皇、作家の名前など、暗記させられていましたね。子どもながらに対等に会話できる僕のことを気に入っていて、句会や歌会によく連れていってくれたものです。そこでいろいろな人と知り合って、かわいがってもらい、知識が身につきました。
お茶といえば、僕が高校生のころ、北野天満宮の梅林の茶店に有名な料亭「吉兆」の創業者・湯木貞一さんが来られたことがありました。老松の誰がお茶を点てるんだ、と話し合い、白羽の矢が立ったのが僕。正式に習ってはいないものの、湯木さんにお茶を出しに行った記憶があります。以後、そんな場では駆り出されていました。
――貴重な経験をなさっていますね!
ですよね。お茶を介した人のつながりは、すごいし、面白い。その力を感じることは少なくありません。ひとつ言えるのは、僕はあらゆることに好奇心があって、何でも見てやりたいと思う。その姿勢は、お茶に大いに役立っているということです。
――お店のほうは?
丸紅では3年間、会社システムを学び、退職しました。本格的に老松の当主となって力を注いだのは、まず、働く人が楽しい環境を整えるという点です。当社では従業員全員が、菓子をつくれるのが自慢です。つまり、お客さんの希望を聞きながら、菓子のかたちを描ける能力がある。そうなれば、誰がトップでも会社はつぶれません。おかげさまで、いまは運営も軌道に乗りました。
3.京都の伝統文化を伝える活動で知った、学びの場・弘道館
――弘道館との関わりについて、お聞かせください。
30年ほど前から、大学や専門学校で和歌や菓子文化の講義をするようになり、並行して京都の伝統文化の素晴らしさを伝える活動に関わる機会が増えていきました。京都御苑近くの「弘道館」と出合ったのは、そんな折です。江戸時代の儒学者・皆川淇園(きえん)が開いた学問所址で、平成21年(2009)、かつて3,000人の門弟が集ったという貴重なお屋敷と庭が、マンションの建設地として取り壊しの危機に瀕していたんです。
――取り壊しですか!?
ええ。貴重なお屋敷と庭を守ろうと、有志で私財を投げ打ち、老松の若いスタッフたちからも少なからぬ協力を得て、すんでのところで、買い戻しました。
――英断ですね。でも、どうしてそこまで弘道館を守ることにこだわっておられたのですか?
“ちゃかぽん”ってご存知ですか? 幕末の大老・井伊直弼のあだ名です。「茶」「和歌」「能(ぽん=鼓の音)」を愛していた直弼は、これらの芸能によって培われた教養があったからこそ、時代を動かす人物になり得たと僕は考えます。
例えば、茶会を準備するとなれば、人を心からもてなすことに徹底的に向き合わねばならない。相手の心を動かす術に長けることにもなるでしょう。それは、豊かで平和な思想を育み、ものづくりやアイディアの土壌ともなる。現代は芸能や教養はおざなりにされがちですが、昔はビジネスや政治の最前線にいる人こそ、こうしたたしなみを大切にしていたという側面があります。その象徴が弘道館なのです。
また、京都の趣ある数寄屋建築をひとたび壊せば取り戻せないというだけではありません。皆川淇園という天才に引き寄せられた門人たちの思いを今に伝える場を絶やしてはならないという使命感もありました。
4.お茶は人と人をつなぐツール。国境を越えて感動を呼ぶ
――弘道館では、茶会を多数開いておられますね。
これまで数えきれないほどの茶会を実施してきました。館内ばかりではなく、青森の三内丸山遺跡へ赴いて「縄文茶会」を開催したり、フランス・イタリアなどで現地の道具を使っての茶会を開いたりもしました。こうした活動によって、弘道館への海外からの来訪者も増えています。
また、2015年から続けている「京菓子展」などをきっかけに知名度が上がり、足を運んでくださる方も多くなってきました。支援者も増え、令和元年(2019)7月7日に、無事、再興10周年を迎えられたのは感無量でしたね。その後、コロナ禍の困難な時期も乗り越え、存続できています。
――茶会の魅力を教えてください。
茶会は、一期一会のインスタレーションやと僕はよく言っています。一服の茶を飲むことを目的としながら、その場にいる人が美を分かち合い、美をつくっていくものです。その日・その時間の天気・客・露地・さまざまな道具・料理・酒・菓子などの組合せが織り成す、アート。茶会を開くには、そのネタを常に探していないとなりません。
“数寄者”っていう言葉があるでしょ。“数”を“寄”せるために、僕はいろいろな道具を見て歩いています。道具っていうのは、モノに限りません。菓子づくりにも共通するのですが、見立ての力って大切です。老松のスタッフには、いろいろなお客さんの気持ちに寄り添えるよう、ファッション雑誌なんかもちゃんと読んでおくように話しています。
――太田さんにとって、お茶とは?
お茶は飲料であるとともに、人と人をつなぐツールにもなり得るものです。弘道館には、有名テニスプレイヤーのロジャー・フェデラーや、世界的女優のナタリー・ポートマンも来ました。世界的に活躍している著名人と会う機会も少なくありません。「なんでお前、そういう経験してるねん」と言われるけど、やっぱりお茶をやっているからでしょう。
お茶のもてなしは、人を惹きつける力があります。国を越えて、感激させる、付加価値のある経験を提供できるんですね。こんなに面白いものはないし、我々の代で絶やすわけにはいかない。だから弘道館では、茶道を通した人間育成に力を入れているんです。
――お茶は京菓子と切り離せない存在であるのはもちろん、人と人とをつなぐものだと実感できました。ありがとうございました。
有斐斎弘道館
【住所】京都市上京区上長者町通新町東入ル元土御門町524-1
【電話】075-441-6662
【開館時間】10:00~16:30
【休館日】不定休
【入館料】2,000円(呈茶付、館内・庭園見学など)
【HP】 https://kodo-kan.com
※見学は要予約。詳細は公式ホームページで確認を。
5.まとめ
京都の有職菓子御調進所「老松」の当主である太田達さん。100年を超える伝統を持つ和菓子店を独創的な発想で改革し、京都の文化財である有斐斎弘道館の継承・保存のために東西奔走する姿がありました。そこには、和菓子の文化にとどまらない、お茶のおもてなしをはじめとした、今に伝わるいにしえの文化を、次世代に残したいという想いの強さがあると感じます。