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鏡餅の由来は平安時代にあった!いつ、どこに飾る?鏡開きの方法もご紹介

2023.12.01

鏡餅のイラスト

重ねた大小の丸餅の上に橙(だいだい)と串柿(古老柿=ころがき)と昆布を乗せ、下には裏白と呼ばれる葉とゆずり葉、和紙を敷く。京都に伝わる伝統的な鏡餅。

お正月の飾りといえば鏡餅が定番ですが、その由来をご存知ですか?鏡餅の歴史はなんと平安時代までさかのぼります。鏡餅をいつ、どこに飾るのか、京都の伝統行事に詳しい岩上力先生に、その由来ととらえ方をお聞きしました。お正月を過ぎた後の、京都ならではの鏡開きの方法もご紹介します。

教えてくれた人
儀礼作法研究家 岩上 力先生

岩上力先生の写真

1947年、京都府宇治市生まれ。劇団「新国劇」の俳優として舞台や大河ドラマに出演。在団中から礼法の研究に努め、映画監督に文化指導をするなど京都の文化や礼儀作法の第一人者として知られる。NHK京都文化センターや東映俳優養成所、京都検定講習、企業研修の講師、京都大学客員講師などを務める。

1.鏡餅の歴史は、平安時代から始まる!

お正月にお供えする「鏡餅」は、日本全国さまざまな形態やお飾りがありますが、京都の鏡餅を含め多くは二つ重ね。重ね合せた大小の丸餅は、陰と陽・月と日を表し、福徳が重なって縁起がよいと考えられています。

そんな日本のお正月に欠かせない鏡餅はいつから始まったのか。実は平安時代にまで遡ります。ここからは時代ごとにご紹介します。

❶「餅鏡」がいつしか「鏡餅」に

十二単を着た女性のイラスト

「鏡餅」という言葉は平安時代からあったと伝えられています。当時は「餅鏡」と呼ばれていましたが、「餅」と「鏡」がいつしか逆になって「鏡餅」と呼ばれるようになったようです。当時、鏡は手に入りにくく貴重でとても不思議な存在でした。その鏡に心を写すことによって歳神様(家々に新年の幸せをもたらすために、高い山から降りてくる神様)にご降臨いただけると考え、歳神様へのお供えとして用意されたのです。鏡餅は、神秘の力の象徴であり、心を改め魂の再生を図る大切な神事に使う道具として伝わってきました。

平安時代の貴族、藤原道長が詠んだ有名な歌に「望月の 欠けたることも なしと思へば」という一節があります。望月という言葉のように、鏡餅は月のように丸いことに意味があるといわれました。丸い餅は人の心や魂そのもので、それを写すところから、餅鏡と呼ばれ、今日まで伝わってきました。

❷武士の時代に四角い餅が生まれる

平安後期になると、それまでの支配階級だった公家に代わって武士が実権を握るようになり、侍の文化が始まります。お餅の語源は「餅飯」といわれ、餅は持ち歩くために便利な飯であり、そこから積み重ねやすい四角い餅が生まれたとも伝えられています。公家文化の中で始まったお供えものとしての餅は、武家文化の広がりによって日常的な携帯食としても発展しました。

❸室町時代に、床の間に飾るように

鏡餅の写真

華道や茶道などの文化が花開いた室町時代、鏡餅は床の間に飾られるようになります。例えば、京都の銀閣寺は書院造で知られますが、貴人が座るための畳を敷き詰めた座敷が新しい儀式としてこの時代に生まれました。さらに同時期に出現した床の間には「神仏」がいると考えられていました。神や仏のためのお供えとして、鏡餅のお飾りもずいぶん華やかになって多種多様な鏡餅が生まれたようです。

江戸時代には、武家のならわしとして、男子は年の始めに鎧などの武具・具足を飾って「具足餅」と呼ばれる餅を供える一方、女子は鏡台の前に鏡餅を供えていました。

ちなみにお正月飾りといえば、門前に飾る門松は、歳神様が迷わずにご降臨いただくための目印。今でいうアンテナです。そして、その場所を清めるためにしめ縄があります。

2.鏡餅の基本の飾り方

鏡餅の写真

鏡餅は地域や時代によって特徴が異なりますが、京都ではお供えものに意味を持たせている点に特徴があります。背景には、京都が戦乱に巻き込まれ、怨霊や疫病に悩まされてきた街だからという視点があります。苦難を打破しようと、無病息災の思いを鏡餅に込めたのです。ここでは、鏡餅の基本の飾り方をおさらいしましょう。

❶いつ、どこに飾る?

京都では12月13日に正月の準備を始め、お世話になった人のところへ挨拶に行く「事始め」という風習があります。縁起がよいとされる12月28日にお餅をつく家庭が多く、この日のついたお餅や正月飾りを、神棚や玄関、下駄箱の上、床の間などに飾ります。これらの場所は、歳神様をお出迎えするのにふさわしい場所と考えられています。

❷鏡餅の下には和紙と裏白を敷こう

京都の鏡餅は、まず白木台の上に和紙を敷きます。和紙は上(かみ)に通じ、ひいては神に通じる結界を表すもの。その上に裏白(うらじろ)という長命を象徴する葉を裏返しにして敷きます。お餅と裏白の間には、子孫繁栄の意味をもつゆずり葉を挟み込むように添えます。

❸お餅の上には昆布と橙、串柿を飾ろう

お餅の上には、「よろこぶ」の昆布を垂らし、一家が代々長く続くようにという願いを込めた橙(だいだい)を飾ります。橙はみかんで代用することもできます。一緒に飾る串柿(古老柿=ころがき)は、1本の串に2・6・2の合計10個を刺し、いつもニコニコ(2個2個)、仲睦(6つ)まじくとの願いが込められています。柿は「嘉来」と書き、幸せがくるという語呂合せがあります。同時に長寿の木でもあり、縁起がよいとされています。

3.鏡開きはいつ、どうやって?

鏡開きの写真

鏡餅を下げることを「鏡開き」と言います。「いつ食べても良いの?」と思う方も多いでしょう。

鏡開きは、宿った歳神様の魂の力を授けてもらい、1年の無病息災を願う風習です。現在は1月7日が一般的ですが、古くは1月20日に行なわれていました。三代将軍徳川家光の忌日が20日であるため、江戸時代になって11日に改められたという説があります。

ちなみに岩上家では1月2日に鏡開きを行ないます。歳神様へのお供えものを下ろして食べることは、お正月の終わりを意味しますが、本来お正月は1月1日のみ。元旦の旦の字は、太陽が地平線から出る様子を表した漢字で、元旦は1月1日の朝のみを表します。だから翌2日にお餅を食べるのです。

4.鏡餅にまつわる4つの豆知識

鏡餅は、地域や時代によってさまざまな変化を遂げてきました。ここでは、鏡餅に関する4つの豆知識をご紹介します。

❶臼と杵には陰陽の意味があった!

餅つきの写真

餅をつく道具、臼と杵。臼は女性を、杵は男性を指し、餅つきは男女和合の例えとされています。日本最古の歴史書『古事記』ではイザナギとイザナミが、矛で地上をぐるぐる混ぜる場面が描かれ、この国生みの様子が餅つきに表されているともいわれます。臼と杵は陰と陽にも例えられ、餅つきは陰陽のエネルギーを統合する大切な神事とも伝えられてきたのです。

❷東の角餅 西の丸餅

丸餅と角餅の写真

餅の形は、主に四角と丸があり、地域によって異なります。公家文化の中で始まった日本の餅はお供えものとしてもともと丸い形をしていましたが、武家文化の広がりとともに武士や庶民の間では手間と時間を省いた切餅・角餅がつくられるようになったという説があります。東日本は角餅、西日本は丸餅とくくりがちですが、歴史を紐解くことで武家文化と公家文化の違いも見えてきます。

❸途絶えつつある伝承の餅飾り

正月餅と星つきさんの写真

子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥。写真のように、京都の西陣では十二支に餅を供える「正月餅」という伝統行事がかつてはありましたが、現在では見かけなくなりました。また、丸めた餅の上に星のような小さな塊をつけた「星つきさん」という正月餅を、仕事場やお風呂やトイレなどの生活をするために大切な場所にお供えする家もあります。

❹鏡餅から生まれた玄米茶

玄米茶の写真

香ばしい玄米茶ができたきっかけは、実は鏡餅にありました。昭和のはじめ頃、京都のある茶商が、正月の鏡開きの際に鏡餅を割ってできた細かいかけらを見て、「なんとかうまいこと使えないものか」と、それを炒って茶葉に混ぜたことが始まりと伝えられています。

5.まとめ

床の間で、正月飾りの中心として供えられ、新年の厳粛さを支える鏡餅。長い歴史の中で受け継がれてきた正月の伝統行事は、日本が誇る文化です。一年の始まりに、気持ちを新たにし、歳神様をお迎えするように鏡餅を飾ってみてはいかがでしょう? きっと気持ちがさわやかになるはずです。鏡餅は、私たちの心を写す、まさに「鏡」なのですから。


  

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